現代の賢人たち

変われないのではない。「変わらない」が機能している【Dan koe/1日で人生を立て直す方法】

 

習慣術が解決しない理由

習慣の作り方を学んでも、変われない人は変われない。なぜなら習慣術は「どう続けるか」を教えるが、「なぜ続かないか」の本当の原因に触れないからだ。

本当の原因は、人は自分の定義と矛盾する行動を、長期的に続けられない。
これは意志力の問題ではなく、自己定義摩擦 の問題だ。

毎朝ジムに行こうとして三日で終わる人がいる。問題はモチベーションでも継続力でもない。

その人の中に「自分は運動する人間だ」という定義がないだけだ。

定義のない行動は、毎回コストを払って実行しなければならない。意志力を使うたびに消耗する。そして必ず尽きる。

対照的に、毎日走っている人に「どうやって続けているか」と聞くと、たいてい困惑する。

続けているという感覚がないからだ。ただそれが自分だから、走る。意志と習慣の話ではなく、定義の話だ。

これを「そういう人は特別だ」と片付けるのは早い。

その人も、かつては三日坊主だったかもしれない。違いは才能ではなく、ある時点で定義が変わったかどうかだ。

習慣術は、定義が変わった後にしか機能しない。定義が変わる前に習慣術を適用しても、砂の上に建てるのと同じだ。

それでも習慣術の本は売れ続ける。なぜか。失敗した人が「もっと良い方法があるはずだ」と次の本を買うからだ。
自己改善産業は、成功より失敗によって成立している。顧客が変わってしまったら、次の本は売れない。この構造に気づいた瞬間、少し景色が変わる。

変われないのは、あなたが悪いのではなく、処方が間違っているからかもしれない。

【参考動画】

「続かない自分」は失敗していない

続かない自分は、失敗していない。別の目的に成功している。

先延ばし、回避、三日坊主。これらを「弱さ」と呼ぶのは、行動の目的を誤読している。
先延ばしの本当の目的は、失敗を回避することだ。挑戦しなければ傷つかない。
動かないことは怠慢ではなく、非常に洗練された自己防衛として機能している。

転職を「来年こそは」と言い続けている人がいる。何年も。
本人は「勇気がない」と言う。でも実際には、その仕事をしている自分の像が、体の中でリアルに結ばない。
憧れてはいる。ただ、憧れは「自分のこと」ではない。他人の話として処理されている。

もう一つ、あまり語られない話がある。「自分には無理だ」と言う人を、周囲は慰める。
変わらないことが、人間関係の中で機能してしまう。変化を阻む力は内側だけではない。
「変わらない自分」でいることで安定している関係が、外側に存在することがある。

自己像は、孤独に守られているのではない。関係性の中で、共同で維持されている。

「変われない理由」の一部は、あなたの外側にある。それを見ずに「意志が弱い」と自分を責め続けることは、問題の場所を間違えている。

「変わりたい」と言いながら変わらない、その構造

「変わりたい」という言葉は、変化への意志ではなく、現状への不満の表明として機能することが多い。
本当に変わろうとしている人は、たいてい「変わりたい」とあまり言わない。すでに動いているからだ。

「変わりたい」を繰り返す状態は、変化のコストより不満のコストの方が低い均衡点に留まっている状態だ。
そこから動くには、コスト計算を変える何かが必要で、それは習慣術でも意志力でもない。

人はよく「自信がないから動けない」と言う。しかし、逆の構造もある。
動くと「自信がある自分」としての責任が生じるから、自信を持たないでいる。
「自信がない」は原因ではなく、機能として選択されていることがある。

これは攻撃ではなく、観察だ。人間はそういう生き物だということだ。合理的に動いている。
ただ、目的が「望む方向への前進」ではなく「安定の維持」になっているだけで。

例えば、年中ダイエットを繰り返している人がいる。食事制限、運動、アプリ。毎回うまくいきかけて、戻る。
「継続力がない」と思っていた。でも数年分の失敗の積み重ねを眺めると、別のことが見えてくる。

体型を変えることには成功していないが、「ダイエットを頑張っている自分」でいることには、一貫して成功している。
その状態自体が、別の何かを満たしている可能性は十分にある。

 

変化は足し算ではなく、崩壊によって起きる

自己改善の話は、ほぼ例外なく「何かを足すこと」として変化を語る。

例えば:

  • 新しい習慣
  • 新しいスキル
  • 新しい環境

足し算なら努力量でコントロールできるから、商品として売りやすい。
「30日チャレンジ」が量産されるのはそういう理由だ。

でも本当の変化は引き算に近い。古い自己像が崩れることで起きる。これは不都合な真実だ。

古い自己像を手放すのが怖いのは当然だ。その像は長い時間をかけて作られた安全な輪郭で、たとえ窮屈であっても安定をもたらす。
「私はどうせ続かない」という定義は弱さではなく、挑戦しなくていい理由として機能している。傷つかなくていい根拠として。

変化が「改善」ではなく「喪失」として感じられるのは、実際に何かが失われるからだ。

今の自分が薄れていく感覚。「始めたら戻れない」という予感。それを意志の弱さと呼ぶのは、人間の認知を誤読している。

変わることへの抵抗は、怠慢ではない。今の自分を失うことへの、正当な拒絶だ。

ある人がフリーランスになることを何年も迷っていた。収入の不安だけが理由ではないと、本人もどこかで気づいていた。
「会社員の自分」という定義が消えることへの恐れがあった。

会社員という肩書きは、関係性の中で機能していた。親への説明、社会的な位置。
それが消えた後に残る自分が、まだ見えなかった。これは弱さではなく、正直な認識だ。

これは誰かの話ではない。僕自身の話だ。

「変われない」という言葉の、本当の意味

「変われない」は、能力の記述ではない。

正確に言い直すと、「変わることで失われる今の自分を、まだ手放せていない」。

この二つは似ているようで、立っている場所が違う。「変われない」は能力の問題として自分を閉じる。
「手放せていない」は、選択の余地がある状態を示す。前者は終着点で、後者は分岐点だ。

自己像が長い時間をかけてあなたを守ってきたことは本当だ。その定義のおかげで傷つかずに済んだこと、安定を保てたことがある。
ただ、その器が今のあなたには少し小さくなっているとしたら。動くたびにどこかに当たっている感じがするとしたら。
その窮屈さは、あなたの問題ではなく、定義の更新が遅れているだけだ。

変化は頑張りの先にはない。「今の自分」という定義への問い直しの先にある。

その問い直しは、一度やれば終わりではない。何度も繰り返す。少しずつ輪郭が変わる。劇的な転換など、たぶん存在しない。
あったとしても、それは長い問い直しの末に起きた、ある瞬間の言語化に過ぎない。

自己啓発が「転換点」の物語を好むのは、売れるからだ。
「ある日突然変わった」は読まれる。
「何年もかけて少しずつ定義が更新された」は読まれない。
でも後者の方が、たぶん正確だ。

努力でねじ伏せようとしていた頃より、今の方が遠くまで来られている気がしている。
正確には、遠くに来たというより、自分の定義が少し広くなった、という感触だ。

「変わろうとしている人」と「変わっている人」の差は、ここにある。前者は行動を変えようとしている。
後者は、気づくと定義が変わっていた。その静かな違いを、努力と根性の話で埋めようとする限り、同じ場所に返ってくる。

【参考動画】

  • この記事を書いた人

まっきー

「マキログ」は、身体を鍛え、心を整え、思考を磨く——そんな“日々の実験”を記録するブログです。 本の要約や海外インフルエンサーの翻訳を通して、内側から人生を整えていく感覚を綴っています。

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