3分名著シリーズ

3分でわかる『嫌われる勇気』|アドラー心理学が教える“他人の目”から自由になる技術

“誰の人生”を生きていますか?

夕方6時、駅のホーム。仕事のチャットとInstagramの通知を交互に見つめていた。
クライアントに送った企画書の返事はまだ来ない。さっき投稿した釣果の写真にも、反応は薄い。

満員電車の窓に映った自分の顔は、どこかくたびれて見えた。

“この顔を、子どもが見たらどう思うだろう?”

気づけば、いつからか「子どもの親としての人生」ばかりを生きていた。

それ自体に後悔はない。でも、自分という人間の輪郭が、少しずつぼやけていく気がしていた。

「あなたが生まれたからパパは夢を諦めた」
——そんな顔を、いつの間にか自分にしていた。

ふと、「嫌われる勇気」の背表紙が目に入った。ずっと読むのを避けていた本だった。

でも今なら、わかる気がした。
これは、誰かのせいにすることから自由になる本なのかもしれない。


それ、誰の課題ですか?

あるとき、家で疲れた顔をしていたら、妻の機嫌まで悪くなったような気がした。

「こっちも頑張ってるのに…」と、何も言わずにご機嫌を取る。

Instagramには、みんなにウケそうな写真を選んで、言葉を飾って投稿する。
見てほしい。認めてほしい。波風を立てたくない。

でもそれって、“誰の課題”なんだろう?

『嫌われる勇気』に出てくるこの言葉が、頭から離れなかった。

「他者の課題に土足で踏み込むな。自分の課題には他人を踏み込ませるな。」

最初は、正直こう思った。
「いや、そんなに割り切れないでしょ」「冷たくない?」

でも、じっくり考えていくと腑に落ちてきた。

妻が不機嫌になるかどうかは、妻の課題。
誰かが自分の投稿を気に入るかどうかは、その人の課題。
僕が全力で企画を出すことは自分の課題。でも、その結果をどう受け取るかは相手の課題。

線引きは曖昧で、たまに迷う。

いまだに、反射的に顔色をうかがってしまうことだってある。

でも、“これは誰の課題だろう?”と一度立ち止まるだけで、心のざわつきが静かになる瞬間がある。

自分が背負うべきことと、手放してもいいこと。
その違いを知るだけで、人間関係のストレスは、驚くほど軽くなるのかもしれない。


人の顔色から自由になったら


「課題の分離」を意識し始めたころ、最初に変わったのは職場でのストレスだった。

上司の機嫌をうかがって企画を変えるのも、クライアントに言われたことを無理に受け入れるのも、
結局は「評価されたい」「嫌われたくない」という自分の不安だった。

でも、評価は上司の課題。誠実に提案するのが自分の課題。

そう考えるようになってから、不思議と仕事がラクになった。

言うべきことは言えるし、ダメでも引きずらない。

そして気づいた。「あれ、意外と誰も怒らないんだ」って。
むしろ、こっちが気にしてただけ。

人は他人のことなんて、案外見ていない。

ただ、それが家庭の中で通じるかは別の話だった。

「勉強は子どもの課題」
そう分かっていても、いざ目の前で宿題をせずダラダラしていると、つい口を出したくなる。
妻ともそのことで何度か話し合った。

「放っておくのは無責任じゃない?」
「それって本当に子どもにとっていいの?」

――正論では割り切れない、“親としての感情”がそこにはある。

課題の分離は魔法じゃない。
でも、何に反応し、どこまで関与するかの判断基準を持てるようになるだけで、
人との関わり方はずっと軽やかになった。

そして何より、自分の感情をちゃんと扱えるようになった。


“あなたの課題じゃないかもしれない”という仮説

『嫌われる勇気』を読んで最初に試したのは、
「これは、誰の課題なんだろう?」と自分に問いかけることだった。

いきなり切り離そうとしなくていい。
ただ、そうやって“仮説”を立てるだけでも、感情の重さが変わる。

たとえば、子どもが宿題をしていないとき。
前なら「やりなさい」と言っていたけど、
「もしかしてこれは、子どもの課題なのでは?」と考えるだけで、
自分の感情との距離が取れるようになる。

ポイントは、「なすりつける」のではなく「視点を増やす」こと。

・なぜ今イライラしているんだろう?
・これは本当に、自分が対処すべき課題?
・相手がどう思うかは、相手の問題では?

そうやって、自分の“思考の中の地図”を丁寧に書き換えていく。
最初は面倒だけど、習慣にしてしまえば、世界の見え方が変わっていく。


嫌われる勇気とは、「自分の人生を生きる勇気」だ

人に気を遣って、疲れ果てて、
誰かの期待に応えようとして、自分をすり減らして。

でも――
それって、本当に“あなたの課題”ですか?

『嫌われる勇気』は、「嫌われてもいい」と開き直るための本じゃない。
“他人の人生”から手を引き、ちゃんと“自分の人生”を取り戻すための武器だ。

評価されなくてもいい。
誰かの期待に応えられなくても、ダメじゃない。
その代わり、自分が本気で選んだ言葉、選んだ行動に責任を持とう。
それが「自分の課題を生きる」ということだ。

僕もまだ、迷う。
誰かの顔色を気にする日もある。
でも、もう戻らないと決めた。
“諦めた顔”で、子どもに背中を見せるのは、今日でやめる。

あなたは、誰の人生を生きますか?

今日からできる3つのこと(再掲)

  1. 「これは誰の課題だろう?」と、自分に問いかける

  2. 一歩引いて、自分の感情を書き出してみる

  3. 自分の“課題”だけに全力を尽くす

他人にどう思われるかを気にする人生より、
自分がどう在りたいかを考える人生のほうが、きっと後悔がない。

そのための第一歩として、ぜひ『嫌われる勇気』を読んでみてほしい。
対話形式で、哲人があなたに語りかけてくる。
読み終えるころには、少しだけ世界がクリアに見えてくるはずだ。

  • この記事を書いた人

まっきー

「マキログ」は、身体を鍛え、心を整え、思考を磨く——そんな“日々の実験”を記録するブログです。 本の要約や海外インフルエンサーの翻訳を通して、内側から人生を整えていく感覚を綴っています。

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