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目次
あなたは今、何をしたいですか?
少し立ち止まって、自分に問いかけてみてほしい。
「やりたいことは何ですか?」
この問いに即座に答えられる人は、どのくらいいるだろうか。
おそらく多くの人が、少し沈黙したあと、曖昧な言葉を並べるか、あるいは「それが分からなくて困っているんです」と苦笑いするのではないか。
仕事に意味を感じられない。
キャリアの方向性が見えない。
好きなことを仕事にするべきなのか、それとも安定を選ぶべきなのか。
転職すべきか、今の場所で頑張るべきか。
現代はこうした問いに溢れている。
同時に、「やりたいことを見つけよう」「自分らしいキャリアを築こう」「情熱を仕事にしよう」というメッセージも、
書店に、SNSに、ビジネス系YouTubeに、どこを向いても溢れかえっている。
それなのに——なぜ、迷っている人はこれほど多いのか。
情報はある。自己分析のツールもある。キャリアカウンセラーも、コーチングも、自己啓発本も、山ほどある。
それでも「やりたいことが分からない」という悩みは、むしろ年々深刻になっているように見える。
ここで一度、立ち止まって考えてみたい。
もしかすると、「やりたいことを探す」という行為そのものが、問題の根本にあるのではないか。
この問いを軸に、今回は心理学者アルフレッド・アドラーの思想を借りながら、現代人のキャリアの悩みを少し違う角度から見つめ直してみたい。
なぜ現代人はキャリアに迷うのか
まず、現代特有の構造的問題を整理しておこう。
かつての社会では、職業の選択肢はそれほど多くなかった。
家業を継ぐ、地域の仕事に就く、あるいは限られた選択肢の中から現実的な一つを選ぶ——
そういう時代は、「やりたいことが分からない」という悩みは今ほど深刻ではなかったはずだ。
選択肢が少ないことは制約でもあるが、同時に「迷わなくて済む」という解放でもある。
しかし今は違う。職業の選択肢は爆発的に増えた。
フリーランス、起業、リモートワーク、副業、ポートフォリオキャリア。
インターネットが生んだ新しい職種は毎年のように登場し、「何にでもなれる」という可能性は、同時に「何になればいいか分からない」という混乱を生んでいる。
さらに、SNSの存在が事態を複雑にしている。
Instagramを開けば、充実したキャリアを持つ人々の姿が目に飛び込んでくる。
Twitterでは「好きなことで生きていく」という言葉が拡散される。
LinkedInには輝かしい転職成功談が並ぶ。
こうした情報の洪水の中で、人は知らず知らずのうちに「自分は正しい道を歩めているのか」と比較し、焦り始める。
自己実現のプレッシャー、とでも言うべきものだ。
「自分らしい生き方をしなければ」
「情熱を持って生きなければ」
「キャリアを通して自己実現しなければ」
——こうしたメッセージは、一見すると個人を解放するように見えて、実は新たな重荷を背負わせる。
「好きなことを仕事にすべき」という言説も、よく考えると非常に残酷だ。
好きなことが明確にある人には指針になるかもしれないが、多くの人にとって「好きなこと」は仕事のプレッシャーの前では萎んでいく。
趣味として楽しんでいたことも、「収益化できるか」「スケールするか」という視点で見始めた瞬間に、重荷に変わってしまう経験をした人は少なくないだろう。
これが、現代のキャリア迷子を生む構造だ。
選択肢の過多、比較の絶え間ない刺激、自己実現へのプレッシャー、そして「好きなことを仕事に」という幻想。
こうした要因が重なり合って、「やりたいことが分からない」という深い霧の中に人々を引き込んでいく。
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アルフレッド・アドラーという人物
さて、ここで登場するのがアルフレッド・アドラー(1870–1937)だ。
オーストリア出身の精神科医・心理学者であるアドラーは、フロイトやユングと並ぶ心理学の巨人でありながら、日本では長い間あまり知られてこなかった。
しかし2013年に出版された『嫌われる勇気』(岸見一郎・古賀史健著)がベストセラーとなったことで、その名はようやく広く知られるようになった。
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アドラー心理学の核心は、いくつかの重要な思想によって成り立っている。
目的論
これはアドラー心理学の土台となる考え方だ。
フロイトが「人間の行動は過去の原因によって決まる」という「原因論」に立っていたのに対し、アドラーは「人間の行動は未来の目的によって決まる」と主張した。
例えば、「過去にトラウマがあるから、今の自分はこうなっている」という考え方は原因論だ。
それに対してアドラーは言う——人はトラウマを「使って」いる、と。
過去の経験がそのまま現在の行動を決めるのではなく、人は無意識のうちにある「目的」のために、過去の記憶を解釈し、活用している、というわけだ。
課題の分離も重要な概念だ。人間関係の悩みの多くは、「自分の課題」と「他者の課題」が混同されるところから生まれる。
他者がどう評価するか、他者に好かれるかどうか——それは他者の課題であり、自分がコントロールできるものではない。自分が担うべきは、自分自身の課題だけだ。
そして共同体感覚。これはアドラーの思想の中で最も重要な概念かもしれない。
人間は根本的に社会的存在であり、他者とのつながりの中に幸福の源泉がある。
自己中心的な視点から離れ、「自分は共同体の一員である」という感覚を持つことが、人間の精神的健康の鍵だとアドラーは考えた。
この三つの思想——目的論、課題の分離、共同体感覚——がアドラー心理学の骨格を成している。
アドラーはキャリアの悩みをどう見るか

ここが、この記事の核心だ。
「やりたいことが分からない」という悩みを、アドラーの視点から見るとどう見えるか。
アドラー的に言えば、「やりたいことを探している」という状態には、ある種の罠が潜んでいる。
それは——問いの方向が「自分の内側」にだけ向いている、という罠だ。
「自分は何がしたいか」「自分の強みは何か」「自分の情熱はどこにあるか」
これらの問いはすべて、自己を起点にしている。もちろん、自己理解は大切だ。
しかしアドラーは言う——人間の価値は、他者との関係の中でしか生まれない、と。
アドラーは「仕事とは貢献である」という考え方を持っていた。
仕事の価値は、自分が何をしたいかによってではなく、自分が他者や社会にどう貢献できるかによって決まる。
そして、その貢献の中にこそ、人は「生きている意味」を感じることができる。
これは現代のキャリア論とは、かなり異なる視点だ。
現代は「自己実現のためのキャリア」という発想が支配的だ。
しかしアドラーの思想から言えば、自己実現を目的にしたキャリアは、根本的に「自己中心的」な視点から出発している。
そして自己中心的な問いは、答えを見つけにくい。なぜなら、「自分の欲求」は変わり続けるからだ。
20代のときに「やりたいこと」だと思っていたものが、30代になると色褪せる。
それは「やりたいことを見つける力が足りなかった」のではなく、そもそも人間の欲求というものが、固定的ではないからかもしれない。
アドラーが提示する問いの転換はシンプルだ。
「自分は何をしたいか」ではなく、「自分は誰の役に立てるか」
この問いのシフトは、一見すると自己犠牲的に聞こえるかもしれない。しかし違う。
アドラーは「他者に貢献することで、人は最も深い意味での自己肯定感を得られる」と考えていた。
他者への貢献は自己を消すことではなく、自己を最も豊かに生かすことだ、と。
また、アドラーの目的論から見ると、「やりたいことが分からない」という状態にも、ある「目的」があると考えることができる。
例えば、「やりたいことが見つかっていない」という状態を維持することで、「リスクを取らなくていい」「行動しなくていい」という目的が達成されているかもしれない。
これは自己批判ではない。ただ、「やりたいこと探し」という行為が、時として行動の回避そのものになってしまうことを、冷静に見つめる必要があるという話だ。
キャリアの新しい見方——「貢献」を起点にする

アドラーの思想を借りながら、キャリアの見方を少し変えてみよう。
従来のキャリア論は「自己実現」を軸にしていた。
「自分の強みを活かして」「自分の情熱に従って」「自分らしく生きる」
——これらは全て、自己を中心に置いた発想だ。
それに対して、「貢献を起点にしたキャリア」はこう問う。
「自分の周りにいる人々は、何に困っているか。そして自分は、その困りごとに、どう応えられるか。」
これは非常に実践的な問いでもある。「やりたいこと」は内省から生まれるが、「役に立てること」は他者との関係の中から見えてくる。
やりたいことは霧の中に見えないこともあるが、目の前の人が何に困っているかは、観察すれば分かる。
もちろん、これで全てが解決するわけではない。「役に立てること」と「やりたいこと」が完全に乖離していれば、長続きしない。
しかし多くの人が見落としているのは——「役に立てること」の中に、「やりたいこと」の種が眠っていることが多い、という事実だ。
好きなことを仕事にするのではなく、仕事を続けるうちに好きになる。これは「妥協」でも「諦め」でもない。
むしろ、人間の興味や情熱というものが、元々どこかに埋まっているのではなく、行動と関係性の中で育まれていくものだ、という現実に目を向けることだ。
アドラーが言う「共同体感覚」は、こうした視点と深くつながっている。自分は孤立した個人ではなく、共同体の一部だ。
その共同体への貢献を通じて、人は「自分がここにいていい」という深い安心感——アドラーが言う「所属感」——を得ることができる。
私自身の話をしよう
少し個人的な話をさせてほしい。
私もかつて、「やりたいことが分からない」という深い霧の中にいた。
20代の頃、本棚には自己啓発本が並び、ノートには「強みリスト」や「価値観マップ」が書き連ねられていた。
StrengthsFinderもMBTIも試した。しかし、それらのツールが出してくれる答えは、どこか他人事のように感じられた。
当時の私が問い続けていたのは「自分は何者か」という問いだった。
しかし、どれだけ内側を掘り返しても、確固たる「本当の自分」は見つからなかった。
それどころか、掘れば掘るほど、自分という存在が曖昧になっていくような感覚があった。
転機は、小さなことだった。
ある日、友人から「相談があるんだけど」と連絡が来た。仕事の悩みだった。
私は特別なことをしたわけではない。ただ話を聞いて、自分が知っていることを伝えただけだった。
しかしその友人が「本当に助かった」と言ったとき、私の中に何かが灯ったような感覚があった。
あの感覚は、「やりたいこと」を探している間には一度も感じなかったものだった。
それからしばらくして、私はアドラーの文章に出会った。
「人は貢献感の中にのみ、自己の価値を感じることができる」
という言葉が、あの友人との会話の記憶と重なった。
自分が何者かを知るのは、内省だけでは足りないのかもしれない。
自分が誰かにどう関わるか——その関係性の中に、自分の輪郭が浮かび上がってくる。そういうことなのかもしれない、と今は思っている。
もちろん、これで全ての答えが出たわけではない。今もキャリアについて考えることはある。
しかし問いの形が変わった。「自分は何をしたいか」ではなく、「自分は何に応えられるか」という問いに。
最後に——あなたに問いを投げたい

長い文章を読んでくれてありがとう。
最後に、あなたへの問いを置いていきたい。
現代のキャリア論は、「あなたは何をしたいですか?」と問い続ける。
自己分析ツールも、転職サービスも、コーチングも、みな同じ方向にあなたを向かせる。あなたの内側に、答えがある、と。
しかしアドラーは少し違う方向を指差す。
「あなたは、誰の役に立てますか?」
これは、自分を消す問いではない。自分を他者との関係の中に置き直す問いだ。
あなたの周りには、今、誰がいるか。その人たちは何に困っているか。
あなたが当たり前だと思っているスキルや視点や経験が、誰かにとっては価値のあるものかもしれない。
やりたいことを探し続けることは、時として、行動を先送りにするための美しい言い訳になる。
「見つかったら動こう」——しかし、見つけるために動くのではなく、動きながら見つかっていくのが、多くの人の現実ではないか。
アドラーは言う。人間の悩みは全て対人関係の悩みだ、と。
ならばキャリアの悩みも、本質的には「他者との関係の中でどう存在するか」という問いに帰着するのかもしれない。
自己理解は大切だ。しかしそれは終点ではない。自己理解は、他者への貢献への入り口に過ぎない。
あなたが今、「やりたいことが分からない」と感じているなら、一度だけ問いの方向を変えてみてほしい。
内側ではなく、外側へ。「何がしたいか」ではなく、「誰に応えられるか」へ。
その小さな問いの転換が、思いがけない場所へあなたを連れて行くかもしれない。
アルフレッド・アドラーの思想をより深く知りたい方には、岸見一郎・古賀史健著『嫌われる勇気』、および岸見一郎著『アドラー心理学入門』をおすすめします。

